世界にひとつの金メダル

オリンピックへ― 気性が荒く人間を信じない競技馬との出会い。父との確執、幼い日の夢。エリート弁護士はキャリアを 捨て障害飛越競技に挑むが――。 世界の映画祭が感涙!フランスで 200 万人が泣いた感動の《実話》 6月17日(土)、YEBISU GARDEN CINEMA、シネマート新宿他にて全国順次公開

Introduction


 フランスで200万人が涙し大ヒットを記録した『世界にひとつの金メダル』は、実話を基に描いた感動作だ。エリート弁護士を辞め選手〈ライダー〉としてオリンピックを目指した男ピエール・デュランと人間を信じない競技馬ジャップルーとの絆、そして彼らを見守る父との確執と愛情。度重なる挫折や逆境が彼らを襲いながらも成長していく、競技ならではの過酷な世界で夢をあきらめずに挑み続ける情熱を描く【人生】の物語だ。『ザ・ビーチ』『ヴィドック』のギョーム・カネが脚本・主演に挑戦し、本物の選手〈ライダー〉さながらのダイナミックさと臨場感とスター性で魅了する。セザール賞、リュミエール賞、ケベック映画賞などを受賞し、モントリオール世界映画祭に正式出品して話題となった。製作費35億円を超える超大作は、ロサンゼルス、ソウルと二つのオリンピックを完全再現し、壮大なスペクタクルでクライマックスを熱狂的に盛り上げる。

 1980年代初頭、フランス。子供のころより父セルジュ(ダニエル・オートゥイユ)の指導の下で障害飛越競技に打ち込んできたピエール(ギョーム・カネ)。彼は大人になり父の期待から逃れるように弁護士となる。だが、幼い日の情熱をあきらめることができずキャリアを捨て、再び選手〈ライダー〉となる。気性が荒く欠点だらけの若馬ジャップルーと父とともにオリンピックを目指す―。

 監督は、『ココ・シャネル』のクリスチャン・デュゲイ。監督自身も馬術競技の元カナダ代表という異色の経歴を持つ。主演には、『ザ・ビーチ』『ヴィドック』などフランスが誇る国際派俳優のギョーム・カネが、選手〈ライダー〉という非常に難しい役どころに挑戦する。さらに自身の馬術経験の豊富さを活かし脚本も手掛ける。また、『あるいは裏切りという名の犬』『橋の上の娘』などの名優ダニエル・オートゥイユが愛情深い眼差しで息子を支える父親役を演じる。妻のナディア役には『レディ・チャタレー』のマリナ・ハンズ、『スペース・カウボーイ』のドナルド・サザーランドが脇を固める。

 ジャップルーは、1975年に生まれたフランスで国民的人気を誇る競技馬だ。小柄で気性が激しい性質を持ちながらも、数々の賞を獲得し選手を栄光へと導いた。享年16歳。障害飛越競技とは、馬術競技の一種で、飛び越さなければ通過できない施設(障害)が設置されたコースを、乗馬して通過する技術を競う競技だ。オリンピック競技の中で、唯一「動物」とのパートナーで競うスポーツであり、そこにドラマが生まれる。最大の見どころは、クライマックスとなるソウルオリンピックのシーンだ。次々と障害を越えていく主人公の透徹した精神力と流麗なテクニックに息をのむ。さらにフランスのドルドーニュ地方、パリ郊外のフォンテーヌ地方の美しい田園風景が憧憬を誘う。

Story

1980年代初頭、フランス。美しい田園風景が広がるドルドーニュ地方。ピエール・デュラン(ギョーム・カネ)は子供のころより父セルジュ(ダニエル・オートゥイユ)の指導の下で障害飛越競技に打ち込んできた。やがて大人になり、父の期待から逃れるように、都市で弁護士の道を歩み始める。さらに、幼き日にレースで共に競い合ったナディア(マリナ・ハンズ)と再会し結婚を約束する。

やがてビジネススーツを着てキャリアを積めば積むほど、若き日の情熱が鮮明に蘇ってくる。障害飛越競技は、父の夢ではなく、自分の夢だったということに気づいたピエールは、一度はあきらめた選手〈ライダー〉を目指すため、輝かしい未来が約束されたエリート弁護士の職を捨て去る。

一方で誰からも期待されず、人間を一切信じない若馬ジャップルー。競技馬としては小柄で気性が荒くて欠点だらけ。だが、この若馬ジャップルーは、高い跳躍力と素晴らしい才能を秘めていた。ピエールはジャップルーをパートナーとして走ることを選択し、父親と二人三脚で鍛錬の日々が始まる。やがて、ピエールとジャップルーは、次々と試合で高い成績を収め始め躍進を続けていく。

しかし、国民から期待され参加したロサンゼルスオリンピックで大失敗をおかし、ピエールは屈辱に苛まれる。そんなピエールの甘さを見抜いた父セルジュはピエールを諭すが、ピエールは、「父さんのためにやってきた」と責任を擦りつける。そんなピエールにセルジュは厳しくも暖かい眼差しで伝える。

「人生を選ぶのはお前だ。好きにすればいい」

そんな時、ある出来事が起こり、いったんは馬術を辞める決意をしたピエールの心に馬術への想いが沸き起こる。妻ナディアと厩務員のラファエル(ルーデ・ラージェ)の支えのもと、ピエールはジャップルーとの信頼関係を築き上げる。ついに1988年、ソウルオリンピックへの出場のチャンスを得る――。

Interview

どの段階から作品に参加したのですか? ずっと前の話で、ジャップルーの話がとても映画向きなのは分かっていた。だが個人的には、競技馬術を断念していたこともあって、そんなに乗り気じゃなかったんだ。ある日、マリオ・ルラーシが、知人のパスカル・ユデレウィッツを紹介したいと連絡してきた。プロデューサーのパスカルは、このテーマに惹かれて1995年から製作を夢見ていた。彼の熱意に突き動かされ、魅了され・・・ついには説得されたんだ。
プロデューサーから脚本の執筆を依頼されたのですか? 根負けしたって感じだよ!子育てに専念するって言ってあったのに。彼は僕がこのテーマに夢中になって、意地になると見込んでいたんだ。さっさと他の脚本家にバトンを渡そうと思いながら、まず10ページ書いた。そこから次から次へとつながっていき、シーンを書き、それから台詞を書いていった。2週間後には、これなら脚本が書けそうだと実感していた。脚本は完成するまでわずか4か月しかかからなかった。
ピエール・デュランの人生に忠実に書いたのですか? そのつもりだよ。彼の人生には、素晴らしい作品に必要な要素がすべて入っていたからね。馬術に熱中していた若者たちと同じように、僕も当時、ジャップルーの快挙、特に1988年のソウル・オリンピックでの偉業について注目していた。また、実際の映像を見て、小さな体のジャップルーの偉業がいかに驚異的だったかを思い出した。映画に登場する試合のデータは、すべて事実通りだ。彼と僕の人生には似ているところがあるから、脚本にはもっと私的な部分を書き加えた。父親が熱心に尽くしているのに、一旦競技から離れるところとか、他人事のようには思えなかった。
同じような経験をしたのですか? そうだね。僕の父は、馬の飼育場を営んでいた。多額の借金をして会社を作ったんだ。18歳の頃、すべてをやめて俳優になりたいと思っていたけど、なかなか言い出せなかった。けれど、乗馬中に大きな事故を起こし、勝ちたいという情熱を失ってしまった。ケガへの恐怖と、田舎の厩舎以外の世界を知ってみたいという気持ちが入り混じっていた。パリや女の子たちにも興味を持ち始めていたからね。だから映画の中では、父親を喜ばせるために競技に復帰するのは、本当に悪いことなのだろうか?という問いに正面からぶつかってみたかったんだ。
自分で監督しようとは思わなかったのですか? それはない。俳優として出演することになれば、すべての乗馬シーンを自分で演じられるように特訓が必要だと分かっていたからね。大仕事となるし、そこに100%を注ぎたかった。それに、馬術競技の元カナダ代表でもあり、熟練した騎手でもある監督のクリスチャン・デュゲイに全幅の信頼を寄せていた。作品に対してお互いに同じビジョンや考え方を持っていたからすぐに分かり合えた。僕は脚本を書き進めながら、できたものを少しずつ指示書のように渡していった。監督にしてみれば、脚本を読む前に製作準備に入るのは簡単なことではなかったと思う。
ピエール・デュランも製作に協力していたのですか? 経験上、本人が映画の製作に関わると何かと大変だということは分かっていた。関係者にとっては辛い状況が起きることもある。題材となった当事者は、物語と一定の距離を取ることができないからだ。だから脚本の執筆に際して、ピエールにいくつか質問をしたが、それよりもカリーヌ・ドゥヴィルデの本を基に考えたかった。本の中に書かれていることであれば、エピソードや客観的な証言についてはすでに本人が許可している。そして、とてもありがたかったのは、ピエールが当時の仲間であるフレデリック・コティエを紹介してくれたことだ。フレデリックは撮影前から撮影中に至るまで、僕のコーチとして指導してくれて、僕の貴重な盟友となったんだ。
具体的にどのような準備をしたのですか? 馬に久しぶり乗ったのは撮影のわずか6週間前だったし、障害を越えるのは20年ぶりだった。競技で試合に出ていた経験があると、かえって乗馬で散歩するのが大好きだとはならないものだ。ジャン・ヤンヌと共演した2本の映画や、騎手を演じた『唇を閉ざせ』で少し乗馬を再開したこともあった。でも今回は全く違う。競技ができる状態に復帰しなければならなかった。幸いにも、撮影は年代順に進んでいたので、出会いからオリンピックのシーンまで順番に撮ることができた。おかげでじっくりと乗馬の感覚を取り戻しながら、自信を深めていくことができた。フォンテーヌブローで撮影が始まって、3週間かけて試合のシーンを撮影した。連日8~9時間は馬に乗り、毎晩1時間半かけて理学療法士に体をケアしてもらった。すごく印象的だったのは、昔自分が出場したフランス選手権の会場で再び競技ができたことだ。撮影は上出来だったよ。フレデリック・コティエのサポートと、自分の強さのおかげで、撮影を成し遂げたんだ。
撮影では、何頭かの馬がジャップルーを演じています。選手として馬が変わることは難しくなかったですか? 1頭の馬に慣れたあとに、代役の馬に乗るのは簡単なことじゃない。主に2頭の馬がジャップルーを演じたけれど、この2頭でも全く特徴が違っていた。まずメインに登場するサンパティコ(Sympatico)は、ジャップルーに似てとても小さな馬だった。跳躍力があるが、すでに22歳だったから無理はさせられなかった。代役のインチェロ(Incello)は、もっと大柄で若くて、オリンピックのシーンなど高い障害を越える撮影で使った。その他にも、ジャップルーの成長や、引きで撮るシーンなどに応じて5,6頭の馬が使われている。
キャスティングには関わったのですか? アイデアは出した。特にマリナ・ハンズは、この映画には絶対に必要だと思っていた。彼女とは14歳の時に出会って、同じクラブで練習し、同じ競技会にも出場していた。彼女は素晴らしい女優であり、見事な選手〈ライダー〉であり、僕の初恋の人でもある。だからピエール・デュランの妻ナディアを演じるには完璧な人物だった。母親役には『LA NOUVELLE GUERRE DES BOUTONS』で共演したマリー・ビュネルを推薦した。友人のジョエル・デュピュシュは、ボルドー出身の俳優を探していた監督にとっては、ぴったりのキャスティングだった。
映画の中には、あなたの友人のジャン・ロシュフォールがちらっと登場しますね。 本当はきちんとした役で出演してほしかったけど、彼はちょうどこの時、スペインで撮影中だったんだ。一瞬でも登場してもらったのは、僕からの感謝の気持ちからでもある。今日の自分があるのは、彼のおかげでもあるんだ。彼は乗馬の世界と映画を結びつける象徴のような人物だ、彼とはまだ僕が少年の頃に競技会で出会った。彼は馬術界でも有名であり、僕が俳優になりたいと決心したとき、力を貸してくれたんだ。
編集には参加したのですか? クリスチャンは、編集のあらゆる段階で僕に意見を求めてきたし、やり直しが必要だと思う点についてはいつも意見が一致していた。彼はすごく心が広い人間なんだ。作品のテーマを深く理解し、何を求めているかきちんと分かっていて、それでいて決して高慢な態度にはならないし、他の人の意見にいつも耳を傾けていた。僕は準備の段階から撮影、編集にいたるまで、つねに彼のそんな人柄を見ることができた。監督にしてみれば、こんなに大規模で、物流、馬術など複雑な工程の多い作品をわずかな準備期間で製作するのは大きな挑戦だっただろう。高い技術を持ち、俳優に対して真摯に接する監督の作品に出演すると、そこで働く人々は自信を持つことができるし、必ず楽しい仕事になるんだ。

Cast&Staff


1973年生まれ。フランス・ブローニュ=ビヤンクール出身の俳優、映画監督。両親が馬のブリーダーで、若い頃は自身も馬術の選手になりたかったという。主な出演作は、『ザ・ビーチ』(00)、『ヴィドック』(01)、『戦場のアリア』(05)、『よりよき人生』(11)、『プレイヤー』(12)、『疑惑のチャンピオン』(15)などがある。また、監督と脚本家としても活躍しており、主な作品は、『僕のアイドル』(02/劇場未公開)、フィリップ・ルフェーヴルと共同脚本・翻案・台詞で携わりセザール賞脚色賞をノミネートした『唇を閉ざせ』(06)、オリジナル脚本とし参加し、フランスで550万人を動員した『君のいないサマーデイズ』(10)などがある。

1950年生まれ。アルジェリア・アルジェ出身のフランスを代表する俳優。『愛と宿命の泉PartⅠ/フロレット家のジャン』(86)でセザール賞主演男優賞と英国アカデミー賞助演男優賞を受賞し注目される。主な出演作は、ヨーロッパ映画賞男優賞を受賞した『愛を弾く女』(92)、『王妃マルゴ』(94)、カンヌ国際映画祭男優賞を受賞した『八日目』(96)、セザール賞主演男優賞を受賞した『橋の上の娘』(99)、『サン・ピエールの生命』(00)、『あるいは裏切りという名の犬』(04)、ヨーロッパ映画賞男優賞を受賞した『隠された記憶』(05)、『裏切りのスナイパー』(12)などがある。

1975年生まれ。フランス・パリ出身の女優。 主な出演作は、『みなさん、さようなら』(03)、セザール賞主演女優賞を受賞した『レディ・チャタレー』(06)、『潜水服は蝶の夢を見る』(07)、『隠された日記 母たち、娘たち』(09)などがある。

1953年生まれ。トルコ・イスタンブール出身のフランスで活躍する俳優。 主な出演作は、『ニキータ』(90)、『007ゴールデンアイ』(95)、『パトリオット』(00)、『王は踊る』(00)、『ザ・コア』(03)、『ロング・エンゲージメント』(04)、『そして友よ、静かに死ね』(11)などがある。

1935年生まれ。カナダ・ニューブランズウィック州出身のカナダを代表する俳優。最近の主な出演作は、『スペース・カウボーイ』(00)、『アート・オブ・ウォー』(00)、『コールド マウンテン』(03)、『ハンガー・ゲーム』(12)、『鑑定士と顔のない依頼人』(13)、『ハンガー・ゲーム2』(13)、『ハンガー・ゲームFINAL:レジスタンス』(14)などがある。

1990年生まれ。フランスで注目されている新鋭の女優。主な出演作は、『女の子が好き』(11)、“Des gens qui s’embrassent”(13)などがある。
1957年生まれ。カナダ・ケベック州出身。馬術競技の元カナダ代表でもある。主な劇場映画監督作に、『スクリーマーズ』(95)、『アサインメント』(97)、『アート・オブ・ウォー』(00)、『ミラ・クニス 監禁島』(08)などがある。その他、主なテレビ映画監督作は、エミー賞ミニシリーズ部門作品賞を含む7部門にノミネートされた『ヒットラー』(03)、エミー賞、ゴールデングローブ賞にノミネートされた『ヒューマン・トラフィック』(05)、エミー賞TV映画賞ノミネート、ゴールデングローブ賞TV映画作品賞ノミネート、批評家協会賞作品賞などにノミネートされた『ココ・シャネル』(08)、『シンデレラ』(11)などがある。

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1955年2月16日生まれ。サン=スラン=シュル=リスル出身のフランスが誇る障害馬術競技の選手(ライダー)。ジャップルーと1979年に出会い、翌年には購入する。1984年ロサンゼルスオリンピック、1988年ソウルオリンピックに出場。1993年から1998年までフランスの馬術連盟の会長を歴任する。

1975年生まれのフランスで国民的人気を誇る競技馬。小柄で気性が激しい性質を持ちながらも、数々の賞を獲得し選手を栄光へと導いた。享年16歳。

オリンピックでは動物を使用する唯一の種目であり、男女の性別に左右されることなく個人の技量を競うことができる唯一の競技でもある。 オリンピックでは、演技の正確さや美しさを競う「馬場馬術」(Dressage ドレッサージュ)、コース上の障害物を飛び越え、正確さとスピードを競う「障害馬術」(jumping ジャンピング)、馬場馬術と障害馬術、クロスカントリーの3種目を同じ人馬のコンビネーションで競う「総合馬術」(Eventing イベンティング)の3種目によって行われ、各団体・個人で計6種目ある。

馬術競技の一種で、飛び越さなければ通過できない施設(障害)が設置されたコースを、乗馬して通過する技術を競う競技。​

アメリカ合衆国のロサンゼルスで行われた第23回夏季オリンピック。期間は1984年7月28日~8月12日まで。

韓国の首都ソウル特別市で行われた第24回夏季オリンピック。期間は1988年9月17日~10月2日まで。